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任天堂のハード史上最多の3つの拡張ポートを本体下部に持っているが、結局は2つしか使用されなかった。この為か後継機の[[Wii]]ではUSBポートを2つのみ搭載している。 | 任天堂のハード史上最多の3つの拡張ポートを本体下部に持っているが、結局は2つしか使用されなかった。この為か後継機の[[Wii]]ではUSBポートを2つのみ搭載している。 | ||
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==状況の変化== | ==状況の変化== |
Hard Tips | |
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型式 | DOL-001 DOL-101(2004.05生産分〜) |
対応メディア | 松下電器産業 光ディスク テクノロジー 直径8cmディスク (通称GC用8cmディスク) |
ストレージ | NGC専用メモリーカード59 NGC専用メモリーカード251 SDメモリーカード |
電源 | 専用ACアダプタ DC12V × 3.25A |
発売元 | 任天堂 |
発売日 | 2001年9月14日 |
価格 | 25000円 19800円(2002年6月3日〜) 14000円(2003年10月17日〜) オープン価格(2005年10月27日〜) |
開発コード | ドルフィン |
『NINTENDO GAMECUBE(ニンテンドー ゲームキューブ)』とは、任天堂が発売した第五世代据置型ゲーム機の名称であり、任天堂から発売された初の光ディスク採用ゲーム機である。愛称は「ジーシー」で表記上は「NGC」や「GC」と書かれる。
目次 |
型式名称のDOLは開発コードネームであるDolphinの頭3文字を取ったもので、名称はNINTENDO64とは違い「ニンテンドー」に変更されている。
既にROMカセットでは肥大化するゲームのグラフィックや音声、ムービーを収録しきることが不可能であると感じたことや、マスクROMのリピート時間が長いこと、DVD規格の登場によりコピーされにくい状況が出来たことから光ディスクの採用が決断された。
光ディスクを採用しているとは言いながらもDVDをベースに松下電器産業が開発したプロテクトを組み込んだ独自規格の8cmディスクを採用しており、CDやDVDの再生には対応していない。
光ディスクの採用以外にもIBMと1000億円規模の提携を結び、POWER PCをベースにした独自CPUGekkoプロセッサーを開発したり、サードパーティのソフトを増やすために開発がしやすいハードとして開発するなど、乾坤一擲の勝負をかけたが、発売当時既に他機種による市場の制覇が完了していたこともあり完全に失敗に終わった。
本体形状がキューブ状をしているためゲームキューブと名付けられたが、これはドライブの価格を下げるために厚いドライブを採用しているためである。
また、NINTENDO64とは違いゲームボーイアドバンスとの連携を前提に設計したと任天堂は言っているが、GBAのスロットは存在しておらず、後からニンテンドー ゲームキューブ ゲームボーイプレーヤーが発売されるなど、全くそのような様子は見受けられない。
任天堂のハード史上最多の3つの拡張ポートを本体下部に持っているが、結局は2つしか使用されなかった。この為か後継機のWiiではUSBポートを2つのみ搭載している。
2004年5月以降に生産されたゲームキューブは、デジタルAV出力端子と本体上部のネームプレートの取り替えが出来ないようになっている。
デジタルAV出力端子が無くなっているため、プログレッシブモードにすることが出来なくなった実質の廉価版である。
黎明期は2001年9月14日から2002年前半までの事を指す。
NINTENDO64での惨敗を受け光ディスクの採用を行い、乾坤一擲の狙いを込めて早期の発売を行ったために据え置きハードでは初めてマリオを同時発売ソフトに持ってきていないが、同年にゲームキューブソフトでは唯一のミリオンセラーを達成した大乱闘スマッシュブラザーズDXが発売された事から出だしは良好であった。
同年末から翌年にかけてソフトが間断なく発売され、そこそこの売り上げを上げたことからNINTENDO64よりも売れ行きが良くなると考えられていた。
転落期は2002年の後半から同年一杯を指す。
2002年7月にはスーパーマリオサンシャイン、2002年年末にはゼルダの伝説 風のタクトと2002年を勝負の年と考え、任天堂はマリオとゼルダというキラーソフトを同じ年に発売すると言う荒技をやってのける。
しかし、内容の作り込みよりも納期を優先するという同社にあるまじき行為の結果、スーパーマリオサンシャインはゲーム内容の練り込み不足、ゼルダの伝説 風のタクトは大作ソフトにも関わらず内容が短いという致命的な欠陥を持ったまま発売されてしまう。
このことにより同社の作品のクオリティに疑問が持たれ、ゲームキューブは一気に失速することとなる。
停滞期は2003年から2005年までのことを指す。
2002年の勝負に失敗したゲームキューブは最早自力での普及は不可能と判断され、比較的好調であったゲームボーイアドバンスとの連携コネクティビティに活路を見いだそうとする。
この頃から任天堂はゲームボーイアドバンスをコントローラに使ったゲームを何本か発売していくが、連動自体にゲームボーイアドバンスに加えてケーブルが必要という難点から成功したとは言い難い。
また、「RPG多くね?」というつぶよりCM第二弾を放送したが、純粋なRPGが1本しか存在しないなど内容は失笑に値するものであった。
末期は2006年のことを指す。
末期のゲームキューブ市場は散々たるもので、後継機種が発売されていないにも関わらずファーストである任天堂から発売されたソフトはWii発売までの12ヶ月間で3本、サードパーティに至っては7月の時点でソフトの供給を中止、ゲームキューブ独占ソフトの発売はないと言う状況であった。NINTENDO64が底だと思っていたらその下があったわけである。
この状況下でサードパーティの間からは「任天堂の据置機は終わった」、「任天堂の次次世代機は存在しないだろう」、「任天堂のハードに力を入れるのは無駄」との声が公然と囁かれるようになる。
まさに任天堂の据置市場はゲームキューブによって終焉を迎えようとしていたのである。