任天堂

(旧ハードウェア)
(会社組織への転換)
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山内 積良は就任から4年目となる1933年(昭和8年)に合名会社[[山内任天堂]]を設立、京都のカード販売店から日本最大のカード会社へと組織を転換させ、社内体制の近代化、合理化を行った。
 
山内 積良は就任から4年目となる1933年(昭和8年)に合名会社[[山内任天堂]]を設立、京都のカード販売店から日本最大のカード会社へと組織を転換させ、社内体制の近代化、合理化を行った。
  
山内 積良にも跡継ぎとなる息子が居なかったため婿養子として稲葉 鹿之丞を迎え入れており、3代目を継がせる予定であった。しかしながら、積良の孫となる博が5歳の時に鹿之丞は失踪。博は3代目となるべく親元を離れ、積良の元で暮らすこととなった。
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また、山内任天堂は太平洋戦争が終結した2年後の1947年に、再びかるたやトランプの販売を行うべく卸専門の子会社[[丸福|丸福株式会社]]を設立した。
 
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また、山内任天堂は太平洋戦争が終結した2年後の1947年に、再びかるたやトランプの販売を行うべく卸専門の子会社[[丸福]]株式会社を設立する。
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===3代目社長 山内 溥===
 
===3代目社長 山内 溥===

2009年2月6日 (金) 09:15時点における版

Company Tips
正式名称任天堂株式会社
本社所在地京都府京都市南区
上鳥羽鉾立町11番地1
郵便番号601-8501
創業1889年9月23日
設立1947年11月20日
事業内容家庭用レジャー機器の製造・販売
代表者社長:岩田 聡
専務:森 仁洋
専務:波多野 信治
専務:竹田 玄洋
専務:宮本 茂
専務:永井 信夫
資本金10,065,400,000円
社員数連結:3,313名
単独:1,403名
株式code7974
URIwww.nintendo.co.jp/

任天堂(Nintendo Co.,Ltd. - 創業明治22年9月23日)』とは、京都府京都市に本社を置く、花札やトランプ等のカードゲーム製造から、将棋、囲碁などの日本の伝統娯楽、ゲームハードウェア、ソフトウェアの設計、製造を行う総合娯楽企業である。

任天堂本社正門

目次

概要

カードゲームとして大統領印の花札やトランプ、またカードヒーローなどのトレーディングカードゲーム、ゲームハードウェアとしては据置型と携帯型の二種類のラインナップ、ソフトウェアとしてはマリオシリーズゼルダの伝説シリーズなどの人気ソフトの開発、販売を行っている。

沿革

創業と山内 房治郎

1889年(明治22年)9月23日、京都に住む工芸家山内 房治郎が室町時代に聖護院御殿であった場所の前にある居宅を買い取って任天堂骨牌を創業する。任天堂骨牌は花札の製造を行い、京都と大阪で販売された。また、1907年にトランプの製造を日本で初めて行なった。

流通革命

山内 房治郎は販売網の拡大を模索し、同様の大きさの箱を使用しており、また、得意先が殆ど同じであるタバコと一緒に流通を行うことを考えつき、国営企業である専売公社(現JT)との交渉を行うこととなる。

専売公社との交渉に任天堂骨牌は成功し、専売公社の全国流通網を通して自社の花札を全国に販売することに成功する。日本最大のカード販売店へと成長する切っ掛けをつかんだ瞬間であった。

会社組織への転換

房治郎が引退する頃には花札は一般大衆の娯楽として定着し、任天堂骨牌は日本最大のカード販売店へと成長していた。

房治郎には息子が居なかったため、娘婿の山内 積良を1929年(昭和4年)に任天堂骨牌の跡取りとした。

山内 積良は就任から4年目となる1933年(昭和8年)に合名会社山内任天堂を設立、京都のカード販売店から日本最大のカード会社へと組織を転換させ、社内体制の近代化、合理化を行った。

また、山内任天堂は太平洋戦争が終結した2年後の1947年に、再びかるたやトランプの販売を行うべく卸専門の子会社丸福株式会社を設立した。

3代目社長 山内 溥

製品

ゲーム機

旧ハードウェア

現行ハードウェア

ソフトウェア

その他

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