NINTENDO64

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また、3Dにゲームが変化したことにより、操作を困難にしたと言う側面も指摘もあり、同社のコントローラでは最大の10ボタンであり、さらに3種類の持ち方が可能なコントローラを付属することとなる。これに対し、任天堂は「ゲームの操作を難しいものだと言う印象を与えてしまった」と述べており、次世代のゲームキューブより誰にでも操作のできるハードとソフトの開発へシフトしていくこととなる。
 
また、3Dにゲームが変化したことにより、操作を困難にしたと言う側面も指摘もあり、同社のコントローラでは最大の10ボタンであり、さらに3種類の持ち方が可能なコントローラを付属することとなる。これに対し、任天堂は「ゲームの操作を難しいものだと言う印象を与えてしまった」と述べており、次世代のゲームキューブより誰にでも操作のできるハードとソフトの開発へシフトしていくこととなる。
  
<!--れを受けて『エニックス』もN64の将来性に疑問を感じ、翌年1月にはPS、SSへの参入と「ドラゴンクエスト7」のPSでの発売を発表、N64へは 1997年6月に発売した『ゆけゆけ!トラブルメーカーズ』を最後に撤退してしまった。一方任天堂はN64ソフトとして最も売れた『マリオカート64』の発売もあって1996年のクリスマス商戦は流石に強みを見せたが、ソフト不足は相変らずで一方PSではFF7の発売で画期づくのに対して1997年に入って3月までソフトの発売がない状態が続き、3月に16800円まで定価を下げ、ソフトの価格も全体的に抑えて普及を図ったものの、失速は目に見えて明らかな状態に陥ってしまう。その余波で1997年のN64ソフトは『コナミ』の『実況パワフルプロ野球4』や『ハドソン』の『爆ボンバーマン』などサードパーティのソフトに大ヒットの作品が生まれたものの、屋台骨であるはずの任天堂自身はというと前作が好評であった『スターフォックス64』や『ヨッシーストーリー』は発売時期の悪さも手伝って売り上げに結びつかず、『ゴールデンアイ 007』は海外での700万本を超える大ヒットに比して低調な売れ行きで、他の海外制作の作品も一部で好評価を得ながらやはり販売には結びつかなかった。またサードパーティの参入も遅々として進まず、沈滞ムードは一層広まってしまう。
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<!--それに及んで任天堂も戦略的に1997年11月のスペースワールドに端を発する大幅なテコ入れを始める。任天堂自身はGBソフト「ポケットモンスター」の人気に肖って『ポケモンスタジアム』を開発、当初は『64DD』用として開発を進めていたが、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』と同様同機の普及を図ってN64用に変更した。サードパーティに対しては98年5月には『ハドソン』と共に『招布』を設立、開発会社に対しては難しいとされるN64ソフト開発を支援し、メジャータイトルや版権を持つ会社に対しては開発を請け負って優れたソフトの充実を図った。結果、1998年8月に発売された『ポケモンスタジアム』で本体の普及も若干ながら上向き、11月に発売された『ゼルダの伝説 時のオカリナ』で久しぶりのミリオンヒットを達成、大幅な本体普及に成功している。その波に乗って1998年のクリスマスは『バンジョーとカズーイの大冒険』『ピカチュウげんきでちゅう』『マリオパーティ』の三作品で大ヒットを記録、再びN64が見直される契機となった。
それに及んで任天堂も戦略的に1997年11月のスペースワールドに端を発する大幅なテコ入れを始める。任天堂自身はGBソフト「ポケットモンスター」の人気に肖って『ポケモンスタジアム』を開発、当初は『64DD』用として開発を進めていたが、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』と同様同機の普及を図ってN64用に変更した。サードパーティに対しては98年5月には『ハドソン』と共に『招布』を設立、開発会社に対しては難しいとされるN64ソフト開発を支援し、メジャータイトルや版権を持つ会社に対しては開発を請け負って優れたソフトの充実を図った。結果、1998年8月に発売された『ポケモンスタジアム』で本体の普及も若干ながら上向き、11月に発売された『ゼルダの伝説 時のオカリナ』で久しぶりのミリオンヒットを達成、大幅な本体普及に成功している。その波に乗って1998年のクリスマスは『バンジョーとカズーイの大冒険』『ピカチュウげんきでちゅう』『マリオパーティ』の三作品で大ヒットを記録、再びN64が見直される契機となった。
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1999年は『大乱闘スマッシュブラザーズ』が1年以上にわたるロングヒットを続けるなどの大ヒットを記録し、『ポケモンスナップ』『ポケモンスタジアム2』といった『ポケモン』をモチーフにした作品もヒットを記録するなど、N64そのものの売れ行きは鈍っているもののソフトの売り上げは好調を持続する。また、一部を除いたサードパーティのソフト群の不調とは対称的に『マリオゴルフ64』『カスタムロボ』『ドンキーコング64』『マリオパーティ2』といった外作の作品もそれぞれ好調で、次世代のハードに向けて、かつてのサードパーティにかかりきらないゲームソフトの充実が見えた。この任天堂ソフトの好調ぶりは『星のカービィ64』や『マリオテニス64』など2000年も継続しており、全体的に鈍ってきているゲームソフトの売り上げの中で異彩を放っている。
 
1999年は『大乱闘スマッシュブラザーズ』が1年以上にわたるロングヒットを続けるなどの大ヒットを記録し、『ポケモンスナップ』『ポケモンスタジアム2』といった『ポケモン』をモチーフにした作品もヒットを記録するなど、N64そのものの売れ行きは鈍っているもののソフトの売り上げは好調を持続する。また、一部を除いたサードパーティのソフト群の不調とは対称的に『マリオゴルフ64』『カスタムロボ』『ドンキーコング64』『マリオパーティ2』といった外作の作品もそれぞれ好調で、次世代のハードに向けて、かつてのサードパーティにかかりきらないゲームソフトの充実が見えた。この任天堂ソフトの好調ぶりは『星のカービィ64』や『マリオテニス64』など2000年も継続しており、全体的に鈍ってきているゲームソフトの売り上げの中で異彩を放っている。
  
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次世代ゲーム機戦争と当時呼ばれた一連のゲーム機群の中で、最後にして本命ハードとして発売され、初週の売り上げでは他機種を圧倒する売り上げを見せた。
 
次世代ゲーム機戦争と当時呼ばれた一連のゲーム機群の中で、最後にして本命ハードとして発売され、初週の売り上げでは他機種を圧倒する売り上げを見せた。
  
だが、その後の対応ソフトの開発は遅れ、次のソフトの発売まで3ヶ月、サードパーティ制ソフトの発売まで6ヶ月を要す事となり、その売り上げは失速していくこととなる。
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だが、その後の対応ソフトの開発は遅れ、次のソフトの発売まで3ヶ月、サードパーティ制ソフトの発売まで6ヶ月を要す事となり、年末商戦にマリオカート64を投入し、一定の売り上げを上げたとはいえ、ハード売り上げは失速していくこととなる。
  
 
===暗黒期===
 
===暗黒期===
 
暗黒期とは、1997年から、1998年7月までのことを差す。
 
暗黒期とは、1997年から、1998年7月までのことを差す。
  
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1月、64での発売が確実と思われていたドラゴンクエストが他機種で発売となることが発表され、更に、3月までソフトが発売されない事態が続くこととなる。体価格を約1万円下げるという行為に出るも、売り上げの失速は明らかとなり、任天堂始まって以来のミリオンソフトがない年となってしまう。
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また、キラーソフトとして期待されていたゼルダの伝説64の発売に関しても、何度も延期が繰り返されこれが更に停滞ムードを広げることとなる。
  
 
===再興期===
 
===再興期===

2007年10月26日 (金) 05:20時点における版

テンプレート:ハードウェア

『NINTENDO64』は任天堂が発売した第四世代据置型ゲーム機の名称であり、2007年現在、任天堂から発売された最後のカセット式ハードである。型式名称のNUSはNintendo Ultra Sixtyfourの頭文字である。

1993年8月22日、「プロジェクトリアリティ」のコードネームで開発が発表され、ワークステーションと同等の能力を持つマシンを子供に触らせたいという目標を持って、シリコングラフィックス社と協同で開発された。 1995年8月に正式名称が正式発表され、1995年末、1996年4月の2度の発売延期を経て1996年6月23日に発売された。

ハードのキャッチコピーは『ゲームが変わる、64が変える』というもので、当時主流であった2Dのゲームから、完全3Dのゲームへの移行を謳っていた、しかし、この事が開発の困難さを招く要因の一つとなる。元々開発の難しいハードであったこともあり、同時発売以外のソフトの発売が3ヶ月後、サードパーティ制ソフトの発売が6ヶ月後と、対応ソフト開発の遅れを招くこととなる。

このことに対し、同社の情報開発本部長である宮本茂は「当時は何でも3Dという3Dシンドロームのようなものがあり、マリオ64もそれに一役買ってしまった」と後年述懐している。

また、3Dにゲームが変化したことにより、操作を困難にしたと言う側面も指摘もあり、同社のコントローラでは最大の10ボタンであり、さらに3種類の持ち方が可能なコントローラを付属することとなる。これに対し、任天堂は「ゲームの操作を難しいものだと言う印象を与えてしまった」と述べており、次世代のゲームキューブより誰にでも操作のできるハードとソフトの開発へシフトしていくこととなる。


目次

状況の変化

黎明期

黎明期とは、1996年の発売から、同年末までのことを差す。

次世代ゲーム機戦争と当時呼ばれた一連のゲーム機群の中で、最後にして本命ハードとして発売され、初週の売り上げでは他機種を圧倒する売り上げを見せた。

だが、その後の対応ソフトの開発は遅れ、次のソフトの発売まで3ヶ月、サードパーティ制ソフトの発売まで6ヶ月を要す事となり、年末商戦にマリオカート64を投入し、一定の売り上げを上げたとはいえ、ハード売り上げは失速していくこととなる。

暗黒期

暗黒期とは、1997年から、1998年7月までのことを差す。

1月、64での発売が確実と思われていたドラゴンクエストが他機種で発売となることが発表され、更に、3月までソフトが発売されない事態が続くこととなる。体価格を約1万円下げるという行為に出るも、売り上げの失速は明らかとなり、任天堂始まって以来のミリオンソフトがない年となってしまう。

また、キラーソフトとして期待されていたゼルダの伝説64の発売に関しても、何度も延期が繰り返されこれが更に停滞ムードを広げることとなる。

再興期

再興期とは、1998年11月21日のゼルダの伝説「時のオカリナ」の発売から、2000年までの事を差す。

末期

末期とは、2001年の9ヶ月間のことを差す。


本体セット内容

  • NINTENDO 64 本体(NUS-001)1台
  • グレーの専用コントローラ(NUS-005)1個
  • 専用ACアダプタ(NUS-002)1個


仕様

  • CPU
Mips 64bit RISC CPU(R4000 Series Customize)93.75MHz
  • メモリ
RAMBUS D-RAM 36Mbit・転送速度最大4500Mbit/sec
  • コプロセッサ
Realtime media Co-Processor(RCP)62.5MHz
  • 表示性能
画面解像度256×224〜640×480
フリッカーフリー・インターレースモードサポート
最大32bitRGBAカラーバッファ・標準21bitカラー出力
Z-バッファ・エッジアンチエイリアシング・本格的テクスチャマッピング・トライリニア・ミップマップ・インターポレーション・テクスチャ・環境マッピング・パースペクティブ補正など
  • 使用電源
AC 100V 50/60Hz 45VA(>DC 3.3V 2.7A・>DC 12V 0.8A)
  • 消費電力
約19W
  • 使用温度範囲
5〜40℃
  • 本体最大寸法
幅260mm×奥行き190mm×高さ73mm
  • 本体重量
約880g
  • コントローラポート
150bps・3PINコネクタ4機装着
  • 拡張コネクタ
本体下部50PINコネクタ(10MB/s)・本体上部30PINコネクタ
  • 媒体
ROMカセット64M〜512M・転送レート5.4MB/s
  • コントローラ
3Dスティック標準装備・ボタン数10・背部に拡張コネクタ有

カラーバリエーション

  • クリアブルー(1999年12月1日(木)発売)
  • クリアレッド(1999年12月1日(木)発売)
  • トイザらス限定ゴールド(トイザらス限定販売)
  • クリアブラック(RandNetDDでの64DDとのセット販売限定)


受賞履歴

  • Machine of The Year 96
  • 日本産業デザイン振興会 グッドデザイン賞金賞


関連サイト

任天堂株式会社

SGI