『19世紀〜1950年代』とは、任天堂の土台の成立、カードゲーム会社としての発展が行われた時期である。
概要
任天堂が創立する30年前、江戸時代(安政六年)に任天堂の初代社長となる山内 房治郎が誕生したことにより、任天堂の歴史が刻まれ始めてから、1949年に三代目社長山内 溥の就任後10年の100年間を扱う。
出来事
安政六年(創立30年前)
- 6月2日(7月1日) - 横浜港開港
- 10月27日(11月21日) - 吉田 松陰が斬首される
- 10月28日(11月22日) - 山内 房治郎誕生
明治22年(創立元年)
- 2月11日(月) - 大日本帝国憲法公布
- 9月23日(月)
- 「京都府文京区正面通り大橋西入る」に任天堂骨牌設立
- 初代社長に山内 房治郎が就任
- 「大統領印」の花札の製造販売開始
明治40年(19年)
昭和2年(39年)
昭和4年(41年)
- 10月24日 - 世界恐慌が始まる
- この年 - 初代社長、山内 房治郎が退任し、二代目社長に山内 積良が就任
昭和8年(45年)
- 3月27日 - 国際連盟脱退
- この年 - 合名会社山内任天堂設立
昭和15年(52年)
- 1月 - 任天堂初代社長、山内 房治郎逝去
- 8月13日 - 今西 紘史誕生
- 8月15日 - 議会制民主主義が実質上停止
- 10月12日 - 大政翼賛会発会
- この年 - 零式艦上戦闘機が正式採用される(皇紀2600年)
1947年(59年)
- 5月3日 - 日本国憲法施行
- 11月20日 - 卸専門の子会社である株式会社丸福を設立
1949年(61年)
- 三代目社長に山内 博が就任する。早稲田大学を中退
- 二代目任天堂社長、山内 積良病気にて逝去
- 9月 - 丸福を丸福かるた販売株式会社に社名変更
1951年(63年)
- 本社を高松町に移転
- 3月 - 丸福かるた販売株式会社の商号を任天堂かるた株式会社に変更。山内任天堂からかるたの製造業務を継承
1953年(65年)
1955年(67年)
1956年(68年)
- 山内 博、世界最大のカードメーカーであるUSプレイングカード社を視察
1959年(71年)
1950年代
任天堂ソフトでの出来事
1899年
- ニシノモリ教授により「ピカチュウの進化に関する一考察」と言う題の論文が書かれる。これにより、ポケモン(当時の呼称は魔獣)が進化する存在であることが明らかとなった。
1925年
- ニシノモリ教授によるオコリザルの怒りエネルギー抽出実験での投薬量の分量ミスによりオコリザルが衰弱、教授の老眼鏡ケースに自ら緊急避難を行い納まってしまう。これによりポケモンは携帯獣(ポケットモンスター)と呼ばれることとなる。