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− | {{ハードウェア|型式=DMG-01|発売元=任天堂|価格=12800円<br />9800円(1993年6月5日〜)<br />8000円(1994年5月1日〜)|発売日=1989年4月21日|メディア=GB専用カートリッジ<br />GBC対応カートリッジ|その他= | + | {{ハードウェア|型式=DMG-01|発売元=任天堂|価格=12800円<br />9800円(1993年6月5日〜)<br />8000円(1994年5月1日〜)|発売日=1989年4月21日|メディア=GB専用カートリッジ<br />GBC対応カートリッジ|その他=コードネーム:<br />ドットマトリクスゲーム<br />通信ポート×1搭載}} |
『'''ゲームボーイ'''(''GAMEBOY'')』とは1989年4月21日に任天堂から発売された第2世代携帯型ゲーム機である。 | 『'''ゲームボーイ'''(''GAMEBOY'')』とは1989年4月21日に任天堂から発売された第2世代携帯型ゲーム機である。 | ||
型式名称のDMGはコードネームであるドットマトリクスゲーム(Dot Matrix Game)を意味し、[[GAME&WATCH]]とは違ってSTNドットマトリクス液晶を採用したことが特徴である。 | 型式名称のDMGはコードネームであるドットマトリクスゲーム(Dot Matrix Game)を意味し、[[GAME&WATCH]]とは違ってSTNドットマトリクス液晶を採用したことが特徴である。 | ||
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+ | STNドットマトリクス液晶はGAME&WATCHから引き続き採用したシャープ製の当時の最新液晶で、当初採用していたTN液晶はGAME&WATCHでも採用されていたものだったが、遊ぶ際の角度が違うことからゲーム時に見えづらく、社長から「画面が見えないなら製品化しなくてもいい」と言われた為に採用された液晶である。シャープは当該液晶の開発に40億円の工場を新設している。 | ||
また、[[ファミリーコンピュータ]]全盛であった当時はゲームボーイに対する期待は薄く、社内ではDMGは「ダメゲーム(DaMeGame)」の略と言われていたとも伝えられている。 | また、[[ファミリーコンピュータ]]全盛であった当時はゲームボーイに対する期待は薄く、社内ではDMGは「ダメゲーム(DaMeGame)」の略と言われていたとも伝えられている。 |
『ゲームボーイ(GAMEBOY)』とは1989年4月21日に任天堂から発売された第2世代携帯型ゲーム機である。
型式名称のDMGはコードネームであるドットマトリクスゲーム(Dot Matrix Game)を意味し、GAME&WATCHとは違ってSTNドットマトリクス液晶を採用したことが特徴である。
STNドットマトリクス液晶はGAME&WATCHから引き続き採用したシャープ製の当時の最新液晶で、当初採用していたTN液晶はGAME&WATCHでも採用されていたものだったが、遊ぶ際の角度が違うことからゲーム時に見えづらく、社長から「画面が見えないなら製品化しなくてもいい」と言われた為に採用された液晶である。シャープは当該液晶の開発に40億円の工場を新設している。
また、ファミリーコンピュータ全盛であった当時はゲームボーイに対する期待は薄く、社内ではDMGは「ダメゲーム(DaMeGame)」の略と言われていたとも伝えられている。
ファミリーコンピュータ同様にソフトウェアを交換することが可能となっていることがもう一つの特徴となっているが、開発コンセプトはハンディ型のファミコンではなく、ソフト交換が可能なGAME&WATCHである。その為、「ポケットファミコン」と言った名称も初期段階にて却下されている。
また、開発の葬責任者であった横井 軍平によって、何となく使えそうだと言う理由で通信ケーブルポートが取り付けられたが、これが初期段階ではテトリス、1996年にはポケットモンスター 赤/緑/青/ピカチュウのヒットに繋がることとなった。
1994年11月21日に本体売り上げのてこ入れ策として、「ゲームボーイブロス(GAMEBOY Bros.)」と言う名称で任天堂のゲーム機では初となるカラーバリエーションを展開。
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